2011年10月4日火曜日

柔軟すぎる日本の労働契約が会社の若手を追い込む


 20年数年前に起きた若い社員の死は、今や「氷山の一角」と言えます。経営側の有識者が唱えるように「企業社会のごく一部」とは言い切れない状況になっているのです。今回取り上げた事例の真相には、少なくとも以下のような論点が挙げられると思います。

1、上司である管理職の言動を誰もコントロールすることができていない。つまり、部下に対し、やりたい放題。

2、上司を過激にさせてしまう背景、つまり、業績主義へのカウンターパートが働いていない。

3、20代という、スキルやノウハウ、人脈などがまだ弱い社員でも、上司らは業績達成のため、酷使する。

4、周囲の人は、この「無法状態」を見て見ぬふりをする。

5、大企業なら企業内にあるはずの労働組合が機能していない。

6、遺族に対し、説明責任などが不十分。不誠実極まりない。


 字数の制約があるので、今回は1~3に絞って解説します。大前提のことですが、日本企業では入社時に書いたわずか1枚の労働契約書のみで働くことになります。つまり、「柔軟な職務構造」の中でありとあらゆることをこなす、フレキシビリティーが求められるのです。

 これは日本的経営の強さと言えますが、弱さでもあります。柔軟であるがゆえに、役割分担や権限と責任意識が曖昧になりやすいのです。結果として、責任感を強く感じた人などは、仕事を必要以上に抱え込んでしまうことがあります。

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