何千人というウデもアタマもあるはずのジャーナリストが、誰一人として、80歳の老人の気まぐれと長年にわたる狼藉を告発できなかったという事実を前に、ただ頭を垂れるばかりだ。彼らはペンを持っていなかったのだろうか。それとも、彼らのペンは城勤めのサムライの日本刀と同じで、見せかけの工芸品に過ぎなかったということなのか?
社畜というのが日本だけの言葉だと思っていことについて、私は考えを改めなければならない。
社畜は、世界的な現象だ。組織あるところに社畜あり。アメリカ人でも、イギリス人でも、ジャーナリストでもインテリでも、誰であれ権力の前では憐れな子羊になる。ペンは、剣よりは強いのかもしれないが、ネクタイには弱そうだし、ブラジャーにもたぶん無条件負けだ。なんということだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿