2011年8月29日月曜日

京セラ初のワンセグ携帯開発に携わったSEの悲劇

回答する記者団 : ラウンジ : 死亡したフォーカスシステムズSEに何があったのか
京セラ初のワンセグ携帯の開発に関わっていたフォーカスシステムズの若手SEが09年6月、京都の鴨川沿いのベンチでウィスキーをラッパ飲みして死亡した。過労が原因で精神疾患を発症した結果だった。

(中略)
 3年目(05年)は一気に忙しくなる。この年の4月にCさんは通信ネットワーク事業部第三システム部に配属された。第三システム部はインターネット関連の開発業務が多い部署で、判決によるとCさんは、「情報系システム構築」「DAダウンロード課金」「ウェブメール案件」などのプロジェクトで、システムの設計、構築、運用試験といった仕事にあたっていた。

 7月、第三システム部から第二システム部に異動になった。Cさんが死亡したのは、この異動から2カ月半後のことだ。第二システム部は、京セラの携帯電話に組み込むソフトの開発を一括受注しており、Cさんはデジタルテレビのソフト開発チームのリーダーになる。

 9月になると、作業効率を上げて遅れを取り戻すため、経験や技術が必要で難易度の高い「調査業務」はベテランのHさんに任せ、Cさんを「試験業務」に専念させるという指示が出た。京セラやチップメーカーに出向いて合同作業をしていた「調査業務」と異なり、「試験業務」はフォーカスシステムズの事業所で行うため、チームリーダーのCさんが合同作業から外された格好になった。

 8月上旬、それまで朝自分で起きていたCさんだが、家族に起されてようやく起床するようになり、8月9日には「本当は会社を休みたい」「今日は行きたくない」と家族に伝えたことがあった。休みを取ってはどうかを言う父に対して、「休めないんだ」と午後から出勤。

 好きな川崎フロンターレの試合観戦にも興味を示さなくなり、9月に入るとさらに暗く覇気を失い、大きなバッグを重そうに、足を引きずるようにしてフラフラと歩くように出勤するほどになった。

 いつもどおりに家を出たCさんが、はじめて会社を無断欠勤し、京都の鴨川のほとりでウィスキーをラッパ飲みして死亡したのは、それから約1週間後の9月16日午前0時頃だった。 詳細

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