案の定、IT企業のSEにとっては過酷な状況が続いた。新商品だけに約款や規定も一切ない状態でのスタートである。東京海上日動のビジネスサイドの担当者と打ち合わせするものの、ビジネスサイドとしても初の商品であり、手探りで検討を進めるしかなかった。
当初は2002年の2月中旬にサービスインする予定だったため、この年の正月は元日も休めなかった。それどころか、IT企業のSEは開発拠点のビルに泊まり込みで、昼夜なく頑張ってくれた。それでも結局、稼働を4カ月延期して、6月にサービスインした。
このときのIT企業の「SE魂」には、今でも感謝している。過酷な開発状況を賛美しているわけではないが、「やってやろうじゃないか」という魂の叫びを感じた。「技術をもってすればできないことはない」という迫力を、今でも昨日のことのように覚えている。
(中略)
そして今夏、いよいよ初代システムで管理する契約を2代目に切り替える。
この切り替えに使うシステムが、これまた難解なシステムとなった。旧契約が複雑だからだ。2010年の秋頃には、SEはフラフラの状態であったが、不屈のSE魂で難局を乗り切ってくれた。
「不屈のSE魂」という意識がメンバーに共有されているなら分かるが、環境と、「SE魂」という単語の連発ぶりを見るに、SEの辛さが浮き彫りとなっているのではと思うところ。